I hated my kindergarten.
私は幼稚園が大嫌いだった。
I was scared to go to elementary school.
小学校に行くのも恐怖だった。
However, since I was born as a human being, it is inevitable that I will be incorporated into an organizational society.
しかし、人間として生まれた以上、組織社会に組み込まれて行くのは憚れない。
Moreover, it is a society depend on with an educational background.
しかも、今は学歴社会である。
When I was young, I liked reading Hayao Kawai’s essay. But one day, I found myself frustrated when I read in his book, “If you can’t speak in academic language, it’s useless.”
私は若い頃、河合隼雄のエッセイを読むのが好きでした。が、ある日、彼の本の中に、「アカデミックな言葉で話せなければダメなのだ。」と、見つけたとき、挫折を感じました。
ダン蔵 is a self-taught person.
ダン蔵は独学の人です。
He never talks about art as academically or dogmatics.
彼は決して芸術をアカデミックにも、教義的にも話しません。
But I think that is because ダン蔵 is a genius.
でも、それは、ダン蔵が天才だからだと思います。
It is Immanuel Kant who gave me the light in my frustration.
私の挫折に、光を与えてくれたのはカントです。
He said “Esthetique object is only esthetique or only art if it was completely useless. “
彼は、「美的オブジェクトは、それが完全に役に立たなかった場合、ただの芸術的または唯一の芸術である」と述べました。
I read it “It’s okay if you are useless person.”
私はこれを、ダメ人間でも大丈夫!と、読みました。
Kant saved my life.
カントは私の命を救いました。
Thank you! 感謝です。
いいじゃないか人間だもの。
ってかその人がいる場所により、学歴があるかないかが問題になるよね。
私がここにいる限りは誰も私の学歴に興味はない。
ウチの会社はオレ流が横行してるよ。やれやれだぜ。
いやあ、結局のところ、私もオレ流で、生きてるんだよなー。悩んでたとしても、他人からは気付かれないから、『よくもまあ、堂々と生きてんね。恥ずかしくないの、あんた?』とかって、心の中で思われてるんだろうなあ。と、思う。でも、仕方ない。人間だもの。